Syeda Adeela Bokhari(パキスタン)
情報技術長官 パキスタン政府財務省 連邦歳入庁
Public Policy Program (2007年修了)
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1998年にパキスタン政府財務省連邦歳入庁(FBR)に入庁。さまざまな職務を経た後、2013年3月、内閣総理大臣の管轄下にある国家職業技術教育委員会(NAVTTC)の認定?認証?国際協力部長に任命される。NAVTTCは、職業技術教育に関する政策の方向性を規定、促進、および提供する最高機関であり、Bokhari氏は、認定システムを構築する責任を委ねられる。
2016年10月に、NAVTTCから親組織の連邦歳入庁に戻り、納税者監査責任者を短期間務めた後、12月から情報技術責任者を務めている。
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‐ご自身の専門分野とその分野に従事するに至った経緯を教えてください。
パキスタンでは、公務員はさまざまな分野で働くよう訓練されています。私は1998年に、連邦歳入庁(FBR)に見習いの職員として初めて就職しました。2006年までは、パキスタン各地の税務署に税務署員として勤務し、当初は内国歳入サービスの長官補佐を、その後は同サービスの長官代理を務めました。私の職務は多岐に渡っていたため、数多くを学ぶ機会を得ることができました。例えば、2001年、ハイルプル郡での任務において、郡長とともに、読み書きのできない貧しい女性の権利について彼女たちの自覚を促し、また名誉殺人に対する反対運動を実施しました。また、2003年には、カラチのアガハーン財団で職業指導の講演を行い、2006年には、公共政策の修士号取得のため、ADB奨学生としてGRIPSに入学する機会を得ました。
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それから2007年にGRIPSで修士課程を修了すると、カラチの税務署に勤めました。2008年にはエジプトのカイロに行き、口唇裂で苦しむ子供たちのために資金を集めているオペレーション?スマイルという団体でボランティアをしました。その後、2009年から2011年まではカイロのModern English Schoolに勤務し、GRIPSのアカデミックライティングの指導で習得した知識を活用して、11~12年生に英文学と研究方法論を教えました。さらに、Nefertiti(カイロにある外交官夫人のための有名な国際クラブの1つ)のメンバーになり、世界中の外交官やその夫人らと出会う機会を得ました。パキスタン洪水救援活動(PFRI:Pakistan Flood Relief Initiative)の資金を集めるための人道的活動も継続し、2011年には、洪水の影響を受けたパキスタンの人々を支援しました。この支援は、何人かのパキスタンの友人から協力を得て、ニーズに基づき行ったものです。
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その後パキスタンに戻り、再びFBRに入庁したのが2011年7月のことです。FBRでは、公会計委員会の事務官として働き始め、内部監査または外部監査中に見つかった不正行為、非効率な点、漏れ、または監査中に発生した問題などの不正監査を担当しました。2011年から2012年の間に、公会計委員会はほぼすべての保留中の不正を解決しました。
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各地の税務署が、部門別会計委員会の議事録(各地の税務署と監査チームとの会合の議事録)を同日に得ることができたのは、FBRの歴史において初めてのことでした。通常は1年以上かかっていたため、従来の慣行を打ち破るものでした。多くの会計案件の清算が行われたことは、それらの会合を進行した職員の有能さを評価する指標となりました。
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懸命に働くことで評価され、私はやる気で溢れていました。また、仕事に献身することで信望を得ることができ、どのような職務も誠実かつ熱心に遂行することで、世界中いたるところで官僚主義と結び付く不活発かつ常態化した文化を、まさに変革できることを学びました。
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私は2013年3月に国家職業技術教育委員会の代表団に応募し、2016年10月に納税者監査責任者の職務に就くためにFBRの本庁に戻るまで、およそ4年間、同委員会に勤めました。
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‐2013年3月から2016年10月中旬までは、およそ4年間弱、国家職業技術教育委員会(NAVTTC)の認定?認証?国際協力部長を務められました。主な責務についてお聞かせください。
2013年の初頭、内閣総理大臣事務局(公共)の国家職業技術教育委員会(NAVTTC)で、当時事務局長で、その後私の指導者となったTariq Shafi Chak氏と面接をしました。NAVTTCはパキスタンの若者への訓練を行っており、他とは異なる組織でした。NAVTTCは現在、パキスタンや世界が抱える多くの課題に直面しています。持続可能な開発目標を持つ教育の概念は、今や広範で包括的です。教育には、単に初等教育、中等教育、基礎教育、国際教育、大学、大学院だけではなく、技術的な知識や技能も含まれます。より多くの子供や大人が完全な初等教育を一通り修了していることから、尊厳を持って働き、自立し、家族を養うことができる技能を教えることが重要です。私は、認定システムを構築する責任を委ねられました。前任者による多少の下準備はありましたが、国際的に許容される技術教育?訓練基準の指針通りに、持続可能で信頼できるシステムを構築するには、かなりの努力が必要でした。
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NAVTTCは、全体性、質、サービス、および雇用可能性を委員会の本質的価値と捉えています。これは、パキスタンの国家技術戦略と技術教育?職業訓練政策に描かれる目標を達成するという責任を反映したものです。政府は、国内の技術訓練の質を向上させることを目標に、2015年3月に初めての技術教育?職業訓練政策を開始しました。パキスタン政府は、技術教育?職業訓練変革サポートプログラムと、主要パートナーであるドイツ国際協力公社(GIZ)に支援され、国家技術戦略の実施を開始しました。変革は独特のものであり、成功を収めました。パキスタンの技術教育?職業訓練部門を支援してくれた開発パートナーのドイツ、ノルウェー、オランダ、および欧州連合に感謝しています。
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第一の目的は、若者が欲求不満を解消するために、アルカイダやISISに加わる、犯罪の世界に足を踏み入れるなど、反社会活動に身を委ねるのではなく、生産力のあるパキスタン国民になることができるよう、彼らに技能を与えることです。そのためNVTTCは、地方のパートナーが質の高い訓練と技術的スキルを提供することができるよう、支援や指示、手助けを行っています。そうすることで、人口ボーナスを享受し、若者に雇用に適したスキルを与えることができるのです。私たちは、訓練の提供者が、規定と品質基準を順守しながら関連する訓練を提供し、若者がそれらを確実に利用できるようにすることを保証します。
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‐現在の立場から見て、今後5~10年におけるパキスタンの展望と課題についてどのようにお考えですか。
パキスタンは「若者の急増」が間近に迫っていることを予見しています。今から10年後には、若者の人口が残りの人口を上回る可能性があり、パキスタンがどのように対処するかによって、若者の存在が好機にも脅威にもなり得ます。政府は健全な政策を通じて、15歳になるすべての子供たちが教育と訓練を受け、十分な知識と技能を身に付けた上で、きちんとした仕事がある労働市場に参加することを保証するでしょう。
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失業中の若者は、容易に欲求不満に陥る場合があります。家族のために適度の生活費を稼ぐことができない若者は、国の安定を揺るがす恐るべき脅威となる可能性があります。若者は、扶養家族を養う責任も担っています(扶養家族は7,700万人に上ると報告されています)。パキスタンがこの人的資本に投資しなければ、社会不安や政治不安を招くでしょう。つまり厳密に言えば、十分な教育を受けた健全な若者は、国や地域における主要な経済資産の1つです。
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パキスタンは正しい方向を向いています。かつてなおざりにされていた領域を今は重視しています。首相は、能力開発にとりわけ注意を払っており、私たちはここ数年間で技術訓練の質を向上しました。課題はまだ山積しており、政府と開発パートナーからの継続的な支援が必要です。この取り組みが、多くの不運な人々の運命を確実に変えるのです。
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‐直面している課題はありますか。また、印象に残っている仕事や、やりがいについてお聞かせください。
上司が頻繁に変わることは大きな課題でした。約4年の間に、物の見方や仕事のやり方が皆それぞれ異なる8人の上司と仕事をしなければなりませんでした。また一方、各地方の部下とチーム精神を築くことも困難なことでした。当初、地方は1つのチームとして働くことに抵抗を示していたので、彼から信頼を得て、ともに働くことで大きな違いが生まれると納得してもらうために、かなりの時間がかかりました。ある地方で達成したことを他のすべての地方で共有し、実行すべき政策について、協働しながらチーム内でコンセンサスを構築することで、リソース、エネルギー、時間を節約できます。説得や話し合いを重ね、ようやくコンセンサスは構築されましたが、最終的には、ともに働き、共通の目標を達成することが、私たちにとって得策であることを皆が理解しました。
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克服しなければならない課題は数多くありましたが、やりがいもありました。常に月次目標と四半期目標を立て、堅実に一から始め、NAVTTCに技術教育の認定システムと品質保証を提供しました。働く場所はどこであっても新たな価値を生み出すことができ、素晴らしい満足感を得ました。
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また、NAVTTCに勤務する間、異なる国々の多数の技術教育?職業訓練機関とやり取りすることができました。ブリュッセル、ソウル、成都、北京(中国)、アンマン(ヨルダン)などで開催されたさまざまな国際フォーラムにおいて、パキスタンを代表して行った多様な議題の講演も、やりがいがある仕事でした。
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‐2016年10月にNAVTTCから親組織の連邦歳入庁に戻り、納税者監査責任者を短期間務めた後、12月から情報技術責任者を務めていますが、主にどのような仕事に携わってきたのかお聞かせください。
過去数週間に、イスラマバード、ラホール、カラチといった主要都市で、現場職員に対する実地監査技術のワークショップを実施しました。
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また、パキスタンの新たな納税者監査政策の策定を支援しました。「2016年監査政策」では、過去からのパラダイムシフトを提案しました。以前は、FBRはランダムに監査事例を選択していましたが、今回私たちは、事例の選択に一定のパラメータを設定しました。従順な納税者に報い、滞納が認められた事例のみを監査するためのパラメータです。ランダムからパラメトリックへ、つまり全般的な事例から、故意の滞納の事例や、誤った法の解釈が存在する特定の事例(リスクに基づくアプローチ)への移行です。この納税者監査における新たな傾向は、既存の税法の順守を促すだけでなく、パキスタン政府の歳入を増加させ、より良い公共支出を導きます。これは、良い国民は高く評価され、滞納者は罰せられることを納税者が理解できるような税政策を通じて実現されます。草案は連邦歳入庁によって承認されており、近いうちに導入されるでしょう。
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2016年12月5日、私はFBRの情報技術責任者という、さらにやりがいのある職務を提示されました。情報技術責任者は注目を浴びる職務であり、さらなる献身が求められます。私はこの職務を引き受けました。今後数年間、古いシステムの刷新に取り組み、IT関連のすべての問題を解決する統合ソリューションの構築を成功させたいと考えています。
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‐どのような経緯で本学を志願されたのでしょうか。本学での経験は、今のご自身の活動にどのように役立っていますか。
私は幸運にも、ADB奨学金を得て、2006年にGRIPSで学ぶことができました。GRIPSは、私にとって人生を変える経験でした。一流の先生方から学び、スキルを磨く機会を得ました。入学前は、政策文書をどのように準備するかなど全く分かりませんでしたが、私が現在行っている多くの業務をどのように考え、処理し、実施するかをGRIPSが教えてくれました。GRIPSでは、世界中から集まった、40カ国を超える国籍の人々と交流しました。私の潜在能力、私が何に本当に長けているかを発見しました。忘れられない友人を作り、愛と敬意、努力の意味を学びました。ある意味で、GRIPSは私を完全な人間に変えました。私は今、権力は責任をもって行使されなければならないことについて理解しています。日本人の仲間から、誠実さ、規律、努力、サービスについて学びました。東京は、人々がありのままに評価される、私の想像を超える世界を見せてくれ、私を元気づけてくれました。アカデミックライティングに関する指導では、知的領域と著作権および知的財産の価値を学び、どのように調査を実施し、政策文書を記述するかを習得しました。
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私はGRIPSで得た知識とスキルを基に、「TVET Vision 2025 for Pakistan(パキスタン技術教育?職業訓練ビジョン2025)」を執筆し、初めての「TVET Country Report for Pakistan(パキスタン技術教育?職業訓練に関する報告書)」にまとめました。「TVET Country Report for Pakistan」は、UNEVOCのウェブサイトで参照できます。8つの政策文書に取り組み、そのすべては3年以内に通知され、同時に多くが現在履行されています。また私たちは、認定プログラムの国内評価と国際的評価を確立しました。GRIPSの同窓生であることはまさに栄誉なことであり、GRIPSでの経験とGRIPSで知り合った友人を決して忘れません。私を人間として成長させてくれたGRIPSに感謝しています。10年経った今でも、GRIPSについて書くときは、いつも懐かしくなります。GRIPSは私の記憶の中では鮮やかなままです。
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‐仕事とプライベートのバランスはどのように維持していますか?
私は母親ですので、仕事と生活のバランスを維持することは重要です。しかしながら、パキスタンには、このことが私たちの生み出す仕事の質にとって重要であることを未だに理解しない上司がいます。私は、どのような職務であっても、常に自分の仕事が好きでしたが、休暇を利用して家族や子供たちとの思い出を作るよう念頭に置いてきました。休暇は重要であり、休暇がなければ、病気になり、疲労し、不健康になる可能性があることは分かっています。健康であるからこそ、貢献できるのです。職場では容易に代わりが見つかるかもしれませんが、家庭ではそうはいきません。家庭での結び付きこそが、人生において最も貴重です。
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歌やダンスもまだ好きですが、ここではそのような機会はめったにありません。ですから、時々GRIPSでの楽しい時間が恋しくなります。でも、時にはハイキングに行ったり、詩を書いたり、絵を描いたりします。
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‐本学での懐かしい思い出はありますか。
GRIPSと東京での思い出すべてが恋しいです。偉大な友人のHassanjon、私を精神的に導いてくれた愛しい友人、Elizabeth。それまで出会った中で最も太っ腹で愛情深いSudhir、ダンスとありのままでいることを教えてくれたChic。お台場の朝の散歩が懐かしいです。電車に乗ったり友人とおしゃべりしたり、特に世界の別の地域の出身で、別の宗教を信仰していたElizabethとSudhirと一緒に料理をし、生活し、食事をしたことを懐かしく思い出します。よく一緒に笑い、泣きました。Cosmic Unity(宇宙はひとつ)こそ、私が日本で学んだことです。
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‐未来のGRIPS学生達へアドバイスをお願いします。
GRIPSでの時間を最大限有効に使ってください。勉強し、学び、友人を作り、さまざまな場所を探索し、本当の自分になってください。
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‐本学とのつながりをどのように維持していきたいですか。必博娱乐活動強化についてなにか期待や提案はありますか。
時には講演会や必博娱乐に行き、GRIPSでの記憶を思い出したいと思います。GRIPSや新しい入学生と再び結び付くことができるよう、JICAの主催により、年度の必博娱乐が時々あると思います。
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