Nguyen Duc Nhat (ベトナム)
VietSurveyリサーチ&アナリシス 取締役会長兼研究主任
Public Policy Program (2002年修了)
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ベトナムの対アメリカ輸出市場開放、WTO加盟交渉代表団を経て
-あなたの専門分野とその分野に従事するに至った経緯を教えてください。
手短にまとめると、私のこの15年間のキャリアは国務から公共事業への移行プロセスであったと言えます。ハノイ貿易大学を卒業後、私はすぐに貿易省に入省し、GRIPSで学んだ1年を含む計6年の間、貿易政策課に勤務しました。貿易省では同僚と結束しアメリカ合衆国との二国間貿易協定を結ぶことで、ベトナムの経済統合に貢献しました。この貿易協定により、ベトナムの物品やサービスの最大の輸出市場が公式に開かれました。そしてこの貿易交渉は、物品の貿易、サービスの貿易、投資政策および投資規制、知的財産権の保護など、ベトナムのあらゆるセクターの改革を必要としました。GRIPSから戻って1年後の2003年には、私はベトナムWTO加盟交渉のための国家代表団の最年少メンバーとなり、第9回ジュネーブ多角的貿易交渉においてすべての専門的な交渉が終了するまでチームの一員として務めました。
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2005年には、2人の政府職員とともにベトナム初の非国家主体の研究機関を立ち上げ、これは現在のVietSurveyのような独立した研究機関やシンクタンク設立のための確固たる基盤を築きました。また、私はパリ第一大学において博士課程も開始し、この8月には博士号を取得する予定です(博士論文は、過渡期にある経済国の成長を左右する主な決定要因に焦点をあてています)。パリ第一大学での研究中にはイギリスのサセックス大学の開発学研究所にも客員研究員として在籍し、査読付き学術誌に掲載された3本の論文に加えて、数多くの研究成果報告書や政策関連の文書を国内外で発表しました。
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取締役会長、大学講師、研究者、3つの顔を持つ
VietSurveyは、ミクロデータと開発学を専門とする、ベトナム国内における主要な非国家主体の研究機関です。VietSurveyの取締役会長としての主な任務は、1)戦略策定、2)研究者の養成、3)ガバナンスと平等に関する研究チームの指揮の3本柱から構成されます。これは、勤務時間の30%ほどが、戦略策定および人材管理を含むViestSurvey取締役会の調整にあてられているということになります。また、私は「ViestSurvey研修シリーズ」や「VietSurveyサマースクール」も立ち上げており、月に数日は、VietSurveyが毎年主催する研修や講義等の計画に費やしています。また、国内のいくつかの大学で、客員講師として自分の研究のサブトピックに関する講義を行うこともあります。そして、残りの時間は、研究者としてガバナンスと平等に関する個人研究および共同研究に充てています。私の研究チームは、イギリスのサセックス大学の開発学研究所、フランスのパリ第一大学の経済学部、そして最近ではアメリカのワシントン大学と、長期にわたる研究課題に取り組んでいます。
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-現在の立場から見て、ベトナムの今後5年から10年の展望、また課題についてどう考えますか?
国有部門と非国有部門の両方に携わった経験から言うと、私はベトナムの経済的な回復力に関しては比較的肯定的に考えていますが、国内の政治経済改革についてはかなり否定的に捉えていると言わざるをえません。私の観測と研究に基づいて導き出した結論では、今のベトナム経済の維持と発展はインフォーマルセクターの強い回復力と、地方レベルでの統治の改善のおかげであるということです。しかし、中央政府の「漸進主義」的なイデオロギーが、ベトナム経済の飛躍を阻んできました。今後5年間も、ベトナム経済は依然として中所得国の罠、格差拡大、そして新たな社会問題に苦しむことになると思います。しかし、10年後には、抜本的な社会改革および構造改革も起こり得るのではないかと見ています。
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-これまでの業務で一番苦労したことはなんでしょうか?またこれまでのキャリアで一番やりがいを感じたことはどんなことでしょうか。
私が仕事上で直面した最も大きな課題は、ベトナムのような過渡期にある経済国において非国家主体の研究団体を存続させることです。私たちは政府からは何の援助も得ておらず、また、不透明な法的枠組みの中で活動していかなければなりません。私たちのような団体は行政の承認を受けておらず、したがって、国家予算から何の援助も得られないばかりか、研修や必博娱乐のような公共性のある事業を行っているにも関わらず通常の企業として税金を納めなければならないのです。VietSurvey設立後にいくつかの独立した研究団体が立ち上げられましたが、そのほとんどが閉鎖に追い込まれたり、国有団体へと姿を変えたりしています。
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過渡期にある経済国ベトナムで、政府機構から信頼される研究機関を目指して
私たちの仕事、そして私自身の仕事において最も興味深く、やりがいが感じられる側面は、国有、非国有含め様々な組織から社会的に認められるということです。私たちの活動の高い水準と綿密な研究が認められ、VietSurveyはベトナム政府機構が信頼するパートナーに成長しました。この背後には「ベトナムを理解し助けることができるのはベトナム人だけである」という事実もあると思います。私の成長理論に関する研究は政府と国会の両方のアジェンダに基づく「社会経済開発戦略(2010~2020)」にも反映されています。これは、政策研究のほとんどが国有機関によって行われるベトナムにおいては珍しいことです。それでも、私は政府が今よりもっとオープンになって海外にいる優秀なベトナム人たちに耳を傾けてくれれば良いのにとも思います。VietSurveyは私たちの分野において世界的に名の通った大学にも認知されており、ベトナム国内の開発パートナーのための資料提供センターとしても認識されています。また、私たちはベトナム国内の問題解決のみならず、グローバルなレベルにおいても文献や知識の構築に貢献しています。
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-これまでのキャリアにおいて、最も誇りに思う功績は何ですか?
私が最も誇りに思うのは、パリ第一大学とイギリスの開発学研究所において、この分野を牽引する教授陣のチームに所属して取り組んだ研究です。また数多くのコースを履修したGRIPSでの一年もとても誇りに思います。私のキャリアの専門性を高め、そしてのちに指導的役割を担うにあたって大いに役立ちました。政府の交渉代表団の最年少メンバーになったことは言うまでも無く刺激的でしたが、正直、学問から得る刺激のほうが、より長く私に影響を与えています。
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-GRIPSで学ぶことになった経緯を教えてください。GRIPSで学んだことの中で最も重要なものは何ですか?またその経験は将来に向けてどのように役立つと思いますか?
GRIPSで自分が社会に貢献できる方法が一つではないことに気づきました。
2000年当時、ベトナムとアメリカの二国間貿易交渉のためのエリート集団は全員、経済学と貿易に関する西洋の教育課程を修了することが求められていました。私たちはアメリカを相手に交渉を行っていたため、留学先としては、ヨーロッパと日本がその他の場所よりも望ましいと考えられていました。この時、私は貿易省の同僚からGRIPSが公共政策の多様なプログラムによって構成される大学院を発足させたこと、そして応募者の選考は公正な競争に基づいて行われるということを知りました。こうして私はGRIPSのアドミッションズオフィスに直接願書を提出し、選考委員会から合格の知らせを受けました。そのときはとても嬉しく、誇りに思ったことを覚えています。GRIPSでの経験は私の将来のキャリア設計を新たに作り変えることになりました。私個人が社会やコミュニティーに対して貢献できる方法が、政策立案、学問的研究、社会事業など様々あることに気づいたからです。また、GRIPSでの経験は誠実さや忍耐強さなどの日本的な価値観、そして異なる価値観や習慣を尊重する国際的な視野を与えてくれました。GRIPSでのコースを修了すると、さらに学問を追求できるのではないかという思いが強くなりました。パリ第一大学の博士課程の入試選考の際には、私がGRIPSで取り組んだコースや論文を審査した選考委員会と教授陣が、GRIPSの学位と教育はヨーロッパのどの大学にも引けを取らないとおっしゃって下さいました。このことを私はとても誇りに思っていますし、GRIPSにも心から感謝しています。
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―GRIPSでの一番の思い出は何でしょうか?また、日本を懐かしく思うことがあれば教えてください。
- 会津若松への研究旅行
GRIPSと寮のあるお台場で過ごした時間は全てかけがえのないものであり、もう少し長くGRIPSにいることができたら良かったのにと思います。GRIPSでの初日に新入生が全員東京のコンサートに招かれ、演奏後の拍手の作法を覚えたことは今でもよく思い出します。また、初めに登録していた30人ほどの学生のうち、4人か5人ほどしか修了することのできなかった、法の経済学の特別コースのこともよく覚えています。
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最も印象的な思い出は、ある雨の日、地下鉄に乗らず、大学院(当時GRIPSのキャンパスは新宿にありました)から新橋駅まで歩いていた時のことです。私は通りの屋台に目をやりながら、授業でのディスカッションの内容について考えていました。私自身、屋台の焼き鳥は時々食べていましたし、他の日本人に混じって立ち食いうどんを食べたこともあります。私はふと、日本人がいかに自分たちの国や日々の暮らしを愛し、そしてそこでの生活や私を取り巻く空気がいかに平和であるかを感じました。その他にも、会津への研究旅行は忘れられない思い出ですし、日本からベトナムに帰国して数年が経ったあとでも、日曜日恒例お台場でのサッカーの時間になると目が覚めていました。
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-GRIPSへの入学を考えている皆さんに一言アドバイスをお願いします。
人はみな、より良い教育を受けようと自分なりの方法を見つけるものだと思います。私は、自分をGRIPSでの経験へと導いた唯一無二の道のりにおいて、革新性と良識という種を私の心の中に植え付けた、西洋と東洋の両方の知識と価値観に出会いました。GRIPSでの経験は唯一無二であり、価値があります。なぜなら西洋と東洋両方の英知と価値観に触れることができたからです。革新性と良識さが私の一部となりました。もしこれを読んでいる方がGRIPSで学ぶことになるのなら、私がそうであったように、学問においても社会生活においても、素晴らしい時間を存分に楽しむことができることと思います。
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-GRIPSとの関係をどのように維持していきたいと考えていますか?修了生として、GRIPSにどんなことを期待しますか?
パリ第一大学で博士号を取得することで、私はGRIPSとの学術交流をより維持しやすくなるのではないかと考えています。今年からVietSurveyは日本のアジア経済研究所(IDE)と協力することになっており、私が尊敬するGRIPSの学友たちと仕事上で関われることを光栄に思っています。2001年から2002年にかけてGRIPSでともに学んだベトナム人の友人たちとは、仕事の分野はそれぞれ違うものの、今でもよく連絡を取り合っています。できる限りお互いを支え合っていますし、また、何よりも、お互いの顔を見て話をするといつもほっとします。
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-GRIPSの修了生ネットワークをより強固にするためのご意見はありますか。
6年前に私のチームでイギリスの大学出身のベトナム人修了生ネットワークに関する研究を行ったのですが、その質的調査からわかったことがいくつかあります。まず、大学と必博娱乐組織は、卒業式の直前もしくは直後に、修了生をネットワークに参加させるようにしなければなりません。学生たちは終了式の直後は新鮮な気持ちを抱いており、大学との強いつながりを感じているのですが、ほとんどの大学がこのチャンスに気づいていません。また、必博娱乐をテーマやセクターに基づいて構成すると、グループごとにより強いネットワークが生まれる可能性もあります。大学のイメージを高めるため、そして学生が学問を終えてそれぞれ自分の場所に戻る際のサポートを行うためにも、必博娱乐は活用されるべきだと思います。様々なイベントや、オンライン上のプラットフォームなども、ネットワークの強化に大きく貢献すると思います。